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セドナメソッド受講体験記

高下義弘さん 基本編・応用編を電話で受講 2010.2.12掲載
 私がセドナメソッドに出合い、安藤さんとの電話セッションを受け始めたのが2008年
の秋。それからこの感想文を書く今まで、約1年半が経過しました。私は多くのことをセ
ドナメソッドから受け取りました。明らかに自分の意識が平和になり、静かになりました。
感情が自分の思考を支配したり、雑念がいつまでも駆けめぐっている状態が減りました。
また、セドナメソッドで自己の内面に向き合い解放するたびに、体の中にリラックスした
感覚が生まれることが自覚できるようになりました。こうしたことから、ますますセドナ
メソッドの効果を確信している次第です。

 私も皆さんと同じく、まだまだ自己を探求する道の途上です。日々感情を揺り動かす出
来事ばかりです。とはいえセドナメソッドを知ったことで、こうした「冒険の旅」が少し
は楽しくなりそうだ、という楽観的な態度がとれるようにもなりました。セドナメソッド
のプラクティショナーである安藤理さん、それから「これからセドナメソッドを始めよ
う」と考えている方々に参考になりそうなトピックから少しずつ、「私のセドナメソッド
体験」をシェアさせていただこうと思います。

■「感情は自分そのものではない」を体感

 私がセドナメソッドを実践するようになって得られた最大のメリットは、「感情にとら
われず、まずは感情を観て、そしてそこから離れる」ことが少なからず可能になったこと
でした。
 私は過去の人生において、自分のなかに渦巻く感情の嵐に呑まれてばかりでした。特に
私の人生を常に振り回してきたのは「怒り」の感情でした。私にとっての「セドナメソッ
ドの力」をご理解いただきやすくするため、多少長くなりますが「感情に翻弄されてきた
私の人生」を述べます。

 私は物心ついた頃から両親に「お前はすぐ怒る」「お前は短気だ」と叱られたり、のの
しられてきた経験を数多く持っていました。今から思えば当時の私は「怒りはいけないも
の、存在してはならないもの」と思い込み、自覚しないまま怒りを徹底的に抑えつけ無視
する癖を身につけていました。多少感傷的な物言いですが、もし、両親が幼少期の私の怒
りをジャッジすることなくじっくり向き合ってくれる機会を設けてくれていたら、私のこ
れまでの人生はそれほど怒りの感情に振り回されることはなかったかもしれません。

 意識のことを多少でも探索してきた方ならご存じの通り、抑圧はすぐに限界を迎えます。
怒りを誘う出来事に直面した際、小さい頃の私の内側には、次のようなことが起きていま
した。限界までこらえて、こらえて、「こらえろ!」と叱咤して、しかしそれでも内側に
ある何かが持ち上がってくる感覚が打ち消せず、格闘を繰り返します。その怒りを誘う出
来事が止まなかったり、その場から離れることができなかったりした場合は突然感情が爆
発してところ構わず叫びだしたり、怒りの対象となった相手を罵倒してしまう。あるいは、
こらえつづけてあるタイミングでふっと内側にある何か糸のようなものが切れ、生命を
失ったように鬱状態に陥る――。こうしたプロセスが、10代、20代の私の人生における
日常でした。まさにセドナメソッドの解説書『人生を変える一番シンプルな方法』の冒頭
で著者ドゥオスキン氏が述べている「抑圧と表現の振り子のあいだ」で翻弄されていたわ
けです。

 しばしば催眠療法など心理セラピーの分野では「感情のコップ」という考え方で人の内
面を説明しています。人はいろいろな物事から受けるさまざまな感情をひたすら抑圧して
いくと、感情のコップにネガティブな感情がどんどん溜まっていきます。次第に溢れんば
かりの感情がこのコップに溜まります。このような状態にある人は、外部から受ける刺激
がどんなちょっとしたことでも――それも普通の状態の人であれば何のこともない出来事
だったとしても――、突然爆発的に怒り出したり、泣き出したりする引き金になります。
「なるほど、私の人生は感情のコップにひたすらネガティブな感情を溜めては、ちょっと
したきっかけで溢れさせる、ということの繰り返しだったのだ」という構造を理解したの
は、30代に入ってからでした。

 また私の経験上、感情のコップが溢れそうな状態だと、思考が過去のネガティブな思い
出に占拠されます。このネガティブな思い出は当時のネガティブな感情を呼び起こし、さ
らにはその思い出に登場した人々の姿と言葉を借りて、自分自身をさらに攻撃するという
「ネガティブな妄想」を展開し始めます。この妄想はあくまで妄想でしかなく、決して事
実ではありません。しかし本人の内側においては実際の思い出と同じほどの影響力を持っ
ており、怒りをますます増幅させます。

 20代の半ばには、このような荒れ狂う感情が肉体の健康をも脅かすようになりました。
ある時、部屋で一人で感情を爆発させて「思考の中に住まう自分を攻撃する人々」を怒鳴
り散らしていたとき、心臓のあたりが急に痛くなり、その場で伏せて倒れ込んでしまいま
した。私は激しい動悸とともに「このまま死んでしまうのでは」という恐怖に襲われまし
た。そのときようやく怒りの感情に向き合うことを決意し、感情のコントロールに関する
心理学の本を読み始めました。初めて心理セラピーやカウンセリングというものの実態を
知っておそるおそる心理カウンセラーに通い始めたり(当時はまだカウンセラーに通う人
は「弱い人」の象徴でした)、自己治癒力を高めるための具体的な行動を取り始めました。

 私はインナーチャイルドセラピー(子供の頃の自分に戻って当時の本音を内側から引き
出すアプローチ)をはじめとしたさまざまなセラピーに有り金をつぎ込んで取り組み続け
ました。また、自己啓発書に書かれているさまざまな自己開発テクニックを日常生活に取
り入れました。その代表的なものが瞑想でした。瞑想が自己を客観視する能力をつける効
果や思考/感情をリラックスさせる効果を持つと聞き、興味を持ちました。瞑想の解説書
を片っ端から読んで取り組んだり、瞑想のセミナーに出かけては瞑想の方法を習い、ほぼ
毎日取り組みました。

 私はこうしたさまざまな手法を通して「自分を見つめ、感情を解放する」「その上で抑
圧されたネガティブ感情により曲がってしまった認知の仕方を意識的に組み替える」とい
う作業を6〜7年間続けました。その結果、怒りを爆発させることはまずなくなりました。
まだまだ発展途上ではありますが、他者そして自分を受容する力も大きく高まってきたこ
とを実感しています。

 しかし、どんなにセラピーに取り組んで自己を掘り下げても、どんなに自己開発のノウ
ハウを身につけても、「油断をすればすぐに怒りの感情が自分を支配してしまうのではな
いか」という恐怖感がぬぐえなかったのが正直なところでした。しばしばセラピストから
は「感情を感じ続けて、そこにとどまってみてください。そこから何かが見えてきますか
ら」とアドバイスされました。確かにセラピストの言うことはもっともだと(頭では)理
解できました。長年の取り組みを通じて、感情は積極的に見つめることで癒される性質を
持っていることを体で確認してきたからです。

 ですが、それでも私の心の片隅には、感情を感じ続けることに大きな不安感が残ってい
ました。「感じ続けると、その感情に呑まれてしまい、また自分の思考と行動がアンコン
トローラブルな状態に陥ってしまうのではないか。結局、数年間の取り組みだけでは、こ
れまでの人生を全面的に覆ってきたものはなかなか取り除けないということだろうな―
―」。私はこのような感想を紡ぎながら、半ば諦めかけていました。

 そのような時、以前『ソース』プログラムの受講でお世話になった安藤さんが監訳した
『人生を変える一番シンプルな方法』が私の目を惹きました。「感情は抑圧するでもなく、
ただ表現するのでもない、手放すという第三の方法がある」。このような内容が書かれた
この書籍を手にしてすぐに「私が求めていたのはこれではないか」と感じ、早速安藤さん
に電話セッションをお願いしました。

 セドナメソッドの良さはいくつもありますが、私は「自分の感情と意識をいったん離し
てみる」効果が得られることだと理解しています。安藤さんのリードに従って、目を瞑り、
感じている感情を「手放す」と意図することで、まぶたの上から感じられる光がさらに明
るく感じられたり、肩の力が入っていたことが自覚できたり――結果として力が抜けてき
ます――と、まず体に変化が起きたのが印象的でした。一般的に体の痛みや堅さ、姿勢と
感情は関係性が強いと言われていますが、あらためて自分の体で確かめられました。
 安藤さんの自分を飾らず決して他者に何かを強要しない姿勢が、セドナメソッドのセッ
ションの効果をさらに高めているようにも感じられました。月に1〜2度の頻度でお願い
していたセッションのたびに、セドナメソッドには「自分が求めている何かがある」とい
う確信が強まりました。

 私はその後1年半にわたり、セドナメソッドを日常生活で継続的に実施しています。ま
だまだ感情の波に襲われる時があります。ですがそれでも「感情を見つめて、そして手放
す」というセドナメソッドの基本を意識的に実施することで、以前に比べて内面が静かに
保てる時間が増えてきたのは嬉しい驚きです。いつまでも鳴り止まない“内側のおしゃべ
り”に思考のエネルギーが取られる時間が減ったり、課題に対処する思考の余地が出てき
たり、多くの人と自然な人間関係が結べるようになったりと、少しずつではありますが心
の余裕ができてきたのは何にも代え難いギフトです。

 もちろん、セドナメソッドに取り組み始めた最初のうちは「このような自問自答を繰り
返すだけで、本当に効果が出るのだろうか」と疑う気持ちが抜けませんでした。途中で挫
折しかかった時もありました。ですが数ヶ月間根気よく続けていくことで、感情にぶらさ
れてばかりだった思考に余裕が生まれてくるような実感が出てきました。その段階でよう
やく、これは(少なくとも自分にとっては)効果のある手法だという確信を持ちました。
定期的に安藤さんの電話セッションを受けていたことも心の支えになっていたように思い
ます。

■手放せると知ったために感情を感じられるようになった

 これは逆説的ではありますが、セドナメソッドを知ったことで、感情をしっかり見つめ、
その感情の状態にとどまることへの勇気が湧いてきました。
 多くのセラピーでは、ネガティブな癖の裏側にあるネガティブな体験を回顧し、そのと
きのネガティブな感情をしっかり感じ、その時点での自分に共感し、当時本当に言いた
かったことを言ったり泣いたりして感情を解放していく、というプロセスを重要視してい
ます。ただ私は自分が意識下に蓄積してきたネガティブ感情のあまりの激しさに、感情を
感じることへの恐怖感が邪魔をしてしまっていたのが実情でした。

 私は「激しい感情が浮かび上がってきたとしても、その感情に『認め手放す』と宣言す
ることで確かに感情は溶解していく」という実感を得たがゆえに、「今の時点ではその感
情にとらわれていたとしても、必ずこの状態から抜け出せる」という自信と希望が持てる
ようになりました。だからこそ、感情を感じようという“覚悟”が固まりました。そして
感情を感じようとする意図が、セドナメソッドの効果をさらに高めているように思います。

 「感情は無視をすると暴れ出す。だがむしろそれを積極的に感じて向き合うと、そこか
ら気づきがあり、学びがあり、そして感情が溶解していく」――。セドナメソッドの書籍
にもこのような“感情の法則”が間接的に説明されていますが、あらためてそのような意
識の性質を自分の体を使って知ったような感覚がありました。

■なぜか「理由」が見えてくる

 手放す作業を続けているうちに、面白い発見があったのでこれもシェアしたいと思いま
す。一つは、手放す作業を続けることで感情の裏側にある「背景」が見えてきたというこ
とです。

 私がしばしば実施するのは、「ネガティブシナリオ」がふと頭の中をよぎったときです。
私は自分の思考を観察していると、日常生活で様々な場面に出くわしたとき、例えば「あ
の人はいま怒っているに違いない」「この仕事はこのままではうまくいかない」「これは
Aでなければならないのに今はBになっているので、何かアクションを起こして状態をA
へと変えなければならない」といった思いが頭をよぎります。私はこうした無条件に浮か
び上がってくる思い、特にネガティブな感情を伴う思いのことをネガティブシナリオと呼
んでいます(私はこれを物理学者デヴィッド・ボームが著書『ダイアローグ』で「想定」
と呼んでいるものに近いと理解しています)。

 ネガティブシナリオは自分の知識や経験を元にした「知恵」であるケースも少なからず
あります。ですから少なくとも耳を傾けておくことには一理あります。ただ、私が自分の
意識を観察している限り、多くのネガティブシナリオには「今度も必ずそうなる」という
根拠はありません。つまり、そのシナリオが事実として確定する材料が揃っていないにも
かかわらず、「事実として確定するのは間違いない」という思い込みのもとに、はやまっ
た思考と行動を意識に押しつけます。

 その形容詞のごとく、ネガティブシナリオは焦りや不安などのネガティブな感情を伴う
ことが多く、過去の私はずいぶん悩まされてきました。ネガティブシナリオによって浮か
び上がるネガティブな感情が意識を支配し、焦って余計な行動を起こしてしまうことがし
ばしばありました。これは言うまでもありませんが、焦って起こす行動はたいてい良くな
い結果を招きます。まさにネガティブシナリオに思考を支配されたが故に、現実化してい
なかったネガティブシナリオを現実化させてしまってきたわけです。そのような状況に陥
らないようにするためには、ネガティブシナリオは「あくまで可能性のあるシナリオの一
つである」ことに気付き、とらわれすぎないよう意識を保っておく必要があります。

 そこで私はセドナメソッドに慣れてきたある時点から、ネガティブシナリオを「いった
ん手放す」ことを実施してきました。ネガティブシナリオが思考の片隅に浮かんできた際、
そのシナリオに伴って生まれてきた感情と、シナリオの裏にある欲求を手放すという作業
です。

 これにより、「そのネガティブシナリオは根拠が確かな『未来の現実』である可能性も
あるが、『単なる思い込み』である可能性もある」と考えられる心の余裕が生まれてきま
した。結果として、物事を多角的にとらえられるようにもなり、思考の幅が広がってきた
ようにも思います。

 そうしたネガティブシナリオをいったん手放すたびに、「たぶんこのネガティブシナリ
オは過去のネガティブな出来事をベースにしたものだろうな」とか、「小さい頃から
ニュースや書籍に触れているうちに、何となくそういうものかと受け容れてしまった概念
だろうな」といった気づきが出てくるのが興味深いところです。もちろん、その気づきが
真実かどうかを証明する手だてはありません。ですが少なくとも、そうした気づきが生ま
れるたびに、ネガティブシナリオの裏側にある「感情の澱」――無意識下に抑圧してきた
ネガティブな感情がさらに溶解していくような感覚がありました。

■「物事に対する相反する思い」を発見

 しばしば自己啓発書や心理学の書籍では、「人は意識の深い部分で、物事に対して『望
みつつも望んでいない』という相反した願望を抱えている。それが人の柔軟な行動を阻害
している」と述べられています。私はそうした記述を読むたびに、「そんなものかなあ。
自分ではそんな矛盾を抱えているなんて思えないのだが…」と疑ってかかり、「自分には
関係のないこと」と勝手に結論づけていたのが正直なところでした。

 ところがセドナメソッドに書かれている「ある事柄に関するメリットとデメリット」
(セドナメソッド翻訳書では「利点と不都合」と訳されています)に取り組んで、このよ
うな矛盾を抱えている意識の内面を直視せざるを得ませんでした。例えば私が一番印象的
だったのは、「お金を稼ぐこと」についての矛盾でした。安藤さんとの電話セッションで
アシストを受けながら、お金を稼ぐことについて、メリットとデメリットそれぞれを思い
浮かべていった際、自分の思考がどのような反応を示すかを観察してみました。

 目を閉じて電話の向こうにいる安藤さんによる「メリットは何ですか?」「デメリット
は何ですか?」という質問に答えていくたびに、自分の頭の中に次々と「矛盾する思い」
が浮かび上がってくることに驚きました。その矛盾はいくつも存在していたのですが、例
えば「(お金が稼げるようになれば生活の不安材料が減るので)ゆっくり生活できる」と
いうメリットが何度も思い浮かぶ一方で、「(お金を稼ぐためには自分を殺して一生懸命
仕事に取り組まなければならないため)ゆっくり生活できない」という相反するデメリッ
トが繰り返し思い浮かびました。

 要するに私は意識下で「お金を稼ぐ」という行為(あり方)に対して、勝手な思い込み
を作り込んでしまっていたのでした。ゆっくり生活することと必要十分なお金を稼ぐこと
を両立させることは可能かもしれないのに、私は「お金を諦めてゆっくり生活するか、
ゆっくりした生活を諦め一生懸命働いてお金を稼ぐかの二者択一しかない」というデジタ
ル思考を意識下で決め込んでおり、知らず知らずのうちに選択と行動を狭めていたようで
した。私は「なるほどこれが自分が抱えている『矛盾』なのか」とショックを受けつつ、
狭い思考領域の中で生きてきた自分の過去に納得の感もありました。

 お金や豊かさ、そして仕事については今も少しずつ取り組んでいますが、現時点の私に
とってはまだまだ探求と解放に時間のかかりそうな壮大なテーマです。ですがそれでも、
セドナメソッドを活用することで、少しずつ柔軟な生き方になりそうな予感がしています。

■瞑想中の雑念にセドナメソッドを適用すると面白い

 自己開発に興味を持っている方のなかには、瞑想にも取り組んでいらっしゃる方が多い
と思います。瞑想のやり方や方法はいろいろありますが、いずれにしても多くの方が統御
に苦労されているのが、頭に浮かんでくる雑念ではないかと推察しています。私はこの雑
念にセドナメソッドを適用してみたところ、内面に興味深い変化が起きたので、これにつ
いても皆さんにシェアしたいと思います。

 雑念には「過去の思い出の再生」だったり、「日々の仕事や生活、周囲の物事に対する
心配事やとりとめのない思い」だったりと、いろいろな種類のものがあると思います。こ
うした雑念に対して、「その雑念に対してどんな感情を持っている?」「その感情はどん
な欲求から発生している?」「その欲求を手放せる?」といった形でセドナメソッドを適
用してみました。すると、雑念が意識の中にふっと「溶解」して体がリラックスする感覚
が強まったり、雑念の裏にあるさまざまな欲求や過去の出来事に対する理解が深まったり
と、より興味深い動きが起きてくることを発見しました。瞑想が深まると体がリラックス
して高揚感が出てきますが、瞑想の体制に入ってからセドナメソッドに取り組むと、瞑想
が深まりやすいような感触がありました。

 多くの瞑想の指導者は「雑念が出てくるのは良いことだ」とおっしゃっています。瞑想
を始めると日々の生活のなかで意識下に追いやった感情や思いが浮かび上がって、自分の
意識から解放されようとされているからだ、というのがその理由です。セドナメソッドを
組み合わせることで、そうした解放がさらに加速化していくのではないかと考えています。

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 以上、長い感想文となりましたが、セドナメソッドにご興味を持たれた皆様のご参考に
なる点が少しでもありましたら幸いです。


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